【まちづくりビジョン】
「家庭・地域・学校」が三位一体となって、様々な機会を通じて、未来をになう子供達と真剣に向き合うまち・我孫子

道一杯に広がり歩く子供達。田んぼ道で良く見かける光景です。
どこか牧歌的でホノボノした光景ですが、交通上、とても危険な行為です。
車が近付いて来ても、クラクションを鳴らされても、悪びれる様子はほとんど見られません。市内の子供達だけではありませんが、こんな時どうされていますか?
私は出来る限り、止まって注意するようにしています。
「なぜ広がって歩くの?」
「広がって歩くことを良い事だと思っているの?」
「学校や家でそのように指導されているの?」
「そうではないよね?」と。
子供達の態度を見て、時に厳しく注意します。クラクションだけでは一過性に終わり、通り過ぎれば再び広がって…と無反省に直ぐに繰り返してしまうからであり、最悪の事態だけは絶対に避けねばなりません。
「学校はどこ?責任者は誰なの?」と確認すると、キチンと応えを返す子は、まず居ません。「もし、学校に伝わったら…」と考えるからでしょう。そう、子供達も「いけない行為」であることを自覚しているのです。でも、指導者が引率して居ない事や、地元から外に出て気持ちが大きくなっていたりするのでしょう。
こういう時こそ日頃の教えや自分自身が試されます。
一方、とある日の早朝の出来事です。
最寄り駅へと足早に向かっていた際、利根川バイパス沿いにある市民体育館に向かう一群と出会いました。
「この子達はどうだろうか…?」と、見ていましたが、(市内中学校の)三年生とみられるリーダー達が「道路にはみ出しちゃ駄目だ。歩道を歩け」と、後輩達の面倒をしっかりとみており、とても感心すると共に、心から嬉しく、そして、頼もしく思いました。
キチンとしている子供達も決して少なくないのです。
“ならぬものはならぬ”と確り教え、伝えて行く。
私が子供だった頃、地域には厳しくも温かく見守って下さる方がいらっしゃいました。そう“カミナリ親父”です。
当時はとても怖い存在でしたが、今にして思うと本当に有り難い存在でした。今の世にこそ、「カミナリ親父の復活」が求められているように思えてなりません。
地域の先輩達が、愛情をもって叱って下さったように、今度は我々
の世代が子供達に返していく番!
無論、範を示すべき大人のマナーについても十分注意が必要です。
「家庭・地域・学校」が三位一体となり、本気で子供達と向き合うまち・我孫子。厳しくも温かく見守る目が沢山あるまち・我孫子。そうした地域にしたい。私はそう考えています。