5月15日は沖縄返還の日。そして、あの日から一年。

1972年(昭和47年)515日、沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還され、今年(※記事を書いた平成26年)で42年になります。


折も折、集団的自衛権行使に関する憲法解釈変更の報道も相まって、殆どのメディアが大々的には取り上げませんでしたが、沖縄が返還されたこの日は、本来、国民の祝日にすべき日だと思います。

 

奇しくも、私は沖縄返還の年に生まれたので同じく42歳。


しかし、未だに米軍が沖縄をはじめとして全国に基地を展開し、沖縄のみならず、18県の領空も管制されている状況(横田空域)は抜本的に変わらず、「自立した国家として本来あるべき形」にはなっていません。 

横田空域の一部削減に伴う羽田空港の出発経路の設定について(平成20年7月1日)
横田空域の一部削減に伴う羽田空港の出発経路の設定について(平成20年7月1日)

首都上空は1都8県に渡り、未だに米軍の管制下に。

  • 「何故、未だにこのような状況になっているのか?」
  • 「これで、本当に自立した国家と言えるのか?」
  • 「果たして、このままで良いのか?


私たちは良く考え、この歪(いびつ)な状態の解決を先送りせず、我々の世代で何としてでも変えて行かなければならないと思います。


だからこそ沖縄返還の日である515は、沖縄が本土に復帰したことを心から祝う日とし、沖縄が置かれている現状については元より、我が国の来し方行く末、そして現実問題として子供達の未来について、もっともっと真剣に考えて行かねばならないと思うのです。


私ことですが、昨年の515日は、昨年夏の参院選への出馬に向けて本格的に活動した矢先に「公認を取り消された日」であり、生涯忘れられない日となりました。昨夏の選挙に挑むに際しては、曲がりなりにも私がこれまで培ってきたもの全てを懸けて、


  • 「敗戦後タブー視され、棚上げされ続けてきた我が国が抱えている根源的な問題について、国民の皆さんに正面から訴え、共に考え、公明正大な議論のもと解決していく契機としたい」
  • 「国民全般はもとより、若年世代の政治離れを喰い止め、気概のある新たな人材を微力ながらでも政治の世界に引き上げて行きたい」「次代を担う子供達に、我が国を“夢と希望のあふれる、明るい豊かな誇りある国家”へと再生し、繋いで行きたい」


こうした強い想いを胸に、市内外の仲間やご支援いただいている方々と心を合わせ、全県下に活動を展開しようとしていた矢先の出来事でした。この一年、自身を見つめ直し、政治の道に志を立てた原点に立ち返り活動して来ました。立場は変われども、今もこの想いに変わりは有りません。


また、駅頭にはじまり各種会合、地域活動、そして、ポスティング(リポートの配布)など市内各地を回らせていただく中で様々な方と出会い、お話をさせていただく機会に恵まれていることで、「明るく豊かで持続可能な地域社会および国家」を真に実現すべく、尽力して行きたいという想いは益々強くなっています。


振り返れば、あっという間の一年でしたが、全てを糧にし、力に変え、捲土重来を期す所存です。今後とも、更なるご指導ご鞭撻、並びにご支援を宜しくお願い致します。


平成26年5月15日発行

久野晋作 活動報告リポート第41号より